【ピースボート】寄港地体験談①ベトナム・エジプト・ヨルダン編

ピースボート

元青山美容師・ピースボートで世界一周・沖縄移住・リゾバで旅する暮らし・これからフロリダディズニーで働くMARIです!

私が乗ったピースボート69回クルーズの寄港地での体験談を 当時の日記(ピンク色の囲み部分)と合わせて紹介するよ。

結構前なのでであまり写真が残っていないけどなるべく載せれるものは載せていくよー!

第69回 地球一周の船旅

出発地 横浜港

日程 2010年4月出航~2010年7月帰港

寄港地

厦門[アモイ]/ダナン/シンガポール/サファガ/アカバ/スエズ運河通航/ポートサイド/ピレウス/ナポリ/ア・コルーニャ/ル・アーブル/コペンハーゲン/グダンスク/サンクトペテルブルグ/ヘルシンキ/ベルゲン/ソグネフィヨルド遊覧/ダブリン/ラグアイラ/モンテゴベイ/クリストバル/パナマ運河通航 /プエルトケツァル/マンサニージョ/エンセナーダ/横浜

ベトナム中部にある活気ある都市ダナンで若者たちと大交流!

ダナンの若者たちと交流

やばい。別れ際、みんなめちゃめちゃ泣いた。

みんなでお礼にソーラン節、踊りましたよ。
ソーランやばい。足の指に水ぶくれ。

(ピンクの枠は当時の筆者の日記)

ピースボートスタッフおすすめのオプショナルツアーだった大交流。

ダナンの学生さんたちがみんな一生懸命私たちをもてなしてくれて、とってもあたたかい交流だったよ。

バイクの後ろに乗せてもらって、ダナンのおすすめスポットに連れて行ってもらった

バイクいっぱい

びっくりするくらい美味しいフォーを食べた。奥にあるパクチーはお好みで手でちぎってのせて食べる。

この空芯菜炒めも最高に美味しかった。

みんな人懐っこくて、言葉が通じない同士でも心が通うんだなぁって思った。

みんなでゲーム大会をしたり、ベトナムの伝統的な歌を披露してもらったり、みんなで踊ったり。

大盛り上がりの1日。

ザ・観光というよりはベトナムの人たちのあたたかい国民性や文化に触れた体験だったよ。

みんなもう立派な大人になってるだろうな。いろんな国にそう思える人がいるって素敵。

ピースボート地球一周の船旅

エジプトで遺跡巡り&お土産やさんの店員とお茶を飲み語り合う。

もちろんピラミッドも見たんだけど、写真がなくなってしまって残念。エジプトはスケールの大きい遺跡がいっぱい!

2週間ぶりに 陸に上がりました。
今、エジプトです

港からルクソールという街までバスで3時間。
しばらくは砂漠的風景。からのさとうきび畑。ロバがいました。

ポスターになりそうなエジプトおじさん。

ルクソース神殿へ。

紀元前1400年(現在から3425年前!、年に1度、ナイル川の増水期に、アメン神が妻ムト女神と過ごすために訪れる「オペト祭」のために造られたんだって。壮大すぎて。

カルナック神殿はエジプトのナイル川東岸にある世界遺産。西岸の死者の世界に対し、東岸は、太陽が昇ってくるため生きている人が住む「生者の世界」といわれていたんだって。

船でナイル川を周遊。

改めて、歴史ってすごい!

ナイル川が栄養のある土を運んできて
農作物は育ち、集落が村になり
王がうまれて、寺院ができて。
何前年も昔の建物にふれイメージしてみる。

どんな服装で人々はここを歩いたのだろう?

今でもイスラムのこの国は女性は布を被って露出をしない。
豚肉を食べない。

この地域にはキリストも広まっているので
ふつうの格好の人もいた!

治安がよく、夕方散歩にでる。
馬車、TAXY、アクセサリーSHOP。。。みんなが物凄い勢いで
客引きを仕掛てくる

「ミルダケーミルダケー」って言ってくるけど、店にはいったら
もんすごいいきおいで商品をゴリ押しされる。みんなで遊び半分で値切りして、ジャンベをGET!

ノリノリで叩いていると、布屋のおっちゃん乱入。
エジプションTEAをだしてくれました。

そしてボスのいぬ間に悪ふざけする若造。笑
変な衣装(ベリーダンス)を着させられ爆笑する。 笑

ボスが戻ってきて4人で語る。(私は片言の英語で)

「5本の指が全部違う長さな様に、人々も一人ひとり皆違ったかんがえを
もっているんだ。でもしばしば、一つにまとめられてしまうことがあるよね。」
的なことを言っていた 。

たぶん色んな国とのことを言っていた。
「違う国のあなた達とこんなにPEACEな話ができて、とてもHAPPY
だったと。」礼を言うと、あなたたちに幸運が訪れるようにと、小さなコインとお守りをもたせてくれた。

きたきた、これです。この感じ。
言葉がわかんなくても 通じあえたこの瞬間。感動。

今夜はプライスレスだー!と、帰ってから(みんなで)ジャンベNIGHTしてきました。

ヨルダン・パレスチナ難民キャンプに支援物資を届けにいく

個人旅では危険度が高くて恐らく訪問不可能なガザ地区のパレスチナ難民キャンプ。

イスラム圏だから女性は布で肌や顔を覆い隠さないといけなかった。

オプショナルツアーで物資を届ける活動を選んだよ。

パレスチナ難民キャンプは、1948年の第一次中東戦争などで家を追われたパレスチナ人やその子孫が暮らす場所。

普段滅多に外国人(私たちのような)が訪れることがないから、子供達は大興奮。

先月、私たちはヨルダンのパレスチナ難民キャンプにいった。
そこで、子供たち、父、母、と語り、HUGした。
家族。彼らと私たちはつながった。

彼らが言った。「私たちを、忘れないでください。真実を、広めてください。」

ガザ。もう遠い世界ではなくなった。報道を聞いて広い海の上で涙がこぼれた。(私たちが訪問した3日後にこの地区で内戦が始まった。)

お家の中も見せてもらったよ。

当時女の子は学校で勉強することが許されていなかったり、YouTubeには生々しい戦争の様子がアップロードされては削除されるといったことが繰り返されていた。

安心安全な日本での暮らしの外では、こんなにも異次元な世界が広がっているのをニュースではなく自分の目で、体で感じられた事が私にとってすごく大事な事だと思ったよ。

ただの観光だけじゃない、このリアルな世界一周の旅が「自分の人生を生きる。夢を叶え、本当にやりたいことをして生きる。」っていう私の人生観につながっていたんだなって思う

続く!

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